1年3カ月ぶりです。
もう書くこともないと思っていましたが、
舞い戻って参りました。
タイトルの【流された私】は、被害者っぽい響きに聞こえるかもしれませんが、
全くそんな意図はなく、自分のふがいなさを痛感している気持ちしかありません。
まさに、選挙で負けた人みたいに、
『わたくしの、不徳の致すところです』
そもそも、私は書くことが好きでした。
本を出版したいと思っていた時期もありました。
人生の師匠となる、佐藤富雄先生に師事したきっかけも、
作家養成講座だったのです。
そのくらい書くことが好きでした。
書いたからと言って、仕事に直結するわけでもなく、
講座の案内文に至ってはポイントをうまく伝えることができないし、
ただの下手の横好きという言葉がぴったりでした。
しかし、書くことが好きだから書いていた。
儲けにもならないブログに、3時間くらい費やすことも多々ありました。
でも後悔もしない。本来の仕事が遅れて反省はするけど(笑)
それなのに、SNSの時代が到来し、紙の本が売れなくなり、
私は、文章を書くことに意味を見出せなくなりました。
書いてどうなるの?誰も読んでくれないよ。
友達には、文章長いねん。忙しいのにあんな長文誰も読めへんよ。など言われ、
たまにクライアントの方に言っていただく、
ブログを読んで元気が出ました、というありがたい言葉を
しっかり受け取れてもおりませんでした。
それよりも時代はSNSが良い。
写真で伝える時代。
写真をうまく撮れるようにならなくちゃ。
写真教室にも何件か通い、結構立派なカメラも何個か買いました。
やがて、動画の時代というやつもやってきて、
今度はビデオカメラやYouTuberなみの機材も買いました。
頑張った時期もありますし、楽しいこともあったりします。
でも、私の中のもう一人の私が言うのです。
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書きたかったんじゃないの?エッセイとかコラムとか。
ノウハウ本じゃなくて、マニュアルじゃなくて、
自分が感じたことを、日常の些細なことから気がついたことを
日常の一こまを、ただ、書きたかったんじゃないのかと。
そもそも、売れる本を目指していたわけでもなく、
あなたは、書店に並ばない、インテリアショップの片隅の本コーナーにある
こじんまりした本が書きたかったんじゃないのかと。
人に知られることもないけど、
一度読んだら売りに出されるような本じゃなく、
この本はおいておくのだと思ってもらえる本が、
書きたかったんじゃないのかと。
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考えていること、支離滅裂だと改めて実感する。
で、やっぱり、文章を書きたいと、ただただ思ったことを書きたいと、
恥ずかしながら舞い戻ってきた次第です。
(このフレーズ、昭和のある年代まではわかる小野田さん的な感じかも)
やりたいことをやるのが人生の目的なので、
独りよがりをはじめます。
人間、ブレるとろくなことないですよね。気を付けます。