最近のテレビを見ていると、「一億総裁判官」なのかと思うことがある。
何か事件が起こると、当事者の印象や状況証拠で国民全部が声をあげる。
正しいとか、正しくないとか、悪人だとか善人だとか。もう、お裁きに近い状態になる。
しかも、ターゲットになると、暴く暴く暴かれる。びっくりする過去の出来事も赤裸々に。
目をつけられると色も罪もつけられる。
今もっぱらの話題の悪質タックルとやらも、善と悪にびっしりと分けられて、日本中が裁きにかかり、やいのやいのと声をあげる。目くじら立てて怒ってる。
でも、真実はどこにあるんだろう。人間には、自分が見たもの、見たいものを真実にする傾向がある。過去の記憶も、悪気なく、自分の都合の良いように書き換えるのが人間だ。
悪い人に見えたら本当に悪いのか?
背景に事情はないのだろうか?
もう過去のことだけど、同じく日本中がたたきまわした「かっぼうぎ」の研究者。
あの人のことも国をあげて断罪したけれど、本当に彼女は間違っていたのだろうか?
陥れられた可能性はないのか?
声の大きい人間の声だけを聞いていないのか?
真実なんてわからないけど、部外者が当事者を傷つける必要や権利があるんだろうか?
すっかり「わいせつ」という言葉が定着したおじさんアイドルも、会見で口をすべらした一言で、魔女狩りのように追い詰めた。
連日トップニュースのように報道し、直前にトップだった財務省のおやじのセクハラはどこかに消えた。
が、わいせつ報道のネタがつきた翌日、またもや財務省のおやじの顔が躍り出た。なんだかところてんみたい。
政府に大事が起こると、アイドル事務所に問題が起きるように思うのは私だけ?
話は戻って・・・
以前、痴漢のぬれぎぬを着せられたサラリーマンも言ってたけど、本当にまったく知らない人から嫌がらせを受けたり、会社で白い目で見られたり、家族がいじめられたり、愕然とするくらいひどい経験をされていた。
まったく利害関係のない人がバッシングに参加することが私は不思議でしょうがない。
誰かを責めるほど、そんなに自分は立派な人間なのか?過ちを犯さない人なのか?完全な善なのか?私は本当に不思議でしょうがない。
目に映ること、報道されることをうのみにしていいものか・・・
そんなに大きな声が出せるなら、もっと政治や法案に怒りの声を上げてもいいような。
難しいことにはだんまりで、言えることには張り切って言う。なんだか、インテリジェンスを感じない。
そういう私もインテリジェンスは持ち合わせていないけど、人を責め立てることもしたくない。
他人より、自分の幸せに興味を持ってほしいと思うこの頃です。
一億総裁判官時代。怖すぎる。。。