あるエッセイを読んでいて驚いた。
驚いた理由は、今や世界的な活躍をされる方の考え方を取り上げ
「そんなのはできない!」「できなくていいんだ!」的なことを書かれていたから。
私もまったく同感で、思わずププっと笑ってしまった。
そして思う。
世界にファンがいる人の考えに「そんなのできなくていいんだ!」と自分の気持ちを書けるってスゴイなと。
なんだか、忘れている気持ちを思い出させてくれたような気がした。
実は、ここ何年かの私は、何かを書くときに「忖度」して書いている時がある。
「これは書いたらまずいよな」と思うことはソフトに書いたり、話題にしなかったりという具合の忖度だ。
そもそも私は目的のためにブランディングすることが好きでなく、
「このように見られたい」という感覚が希薄。
そりゃ、いい加減な人には見られたくないけど、等身大の自分より大きく見せたい気持ちがない。
いや、自分が気づいていないところにものすごくあるのかもしれないけど、
自覚している自分は、「悪く見られなければいい」くらいの認識でいる。
なのに、なんだか頭の中につらつら文章が浮かぶのに、これは書くことでもないかっとなかったことに多々していた。
けれども、エッセイを読んで気づいた。
ここ何年か「文句を言われないように」という気持ちが働いていることを。
つまり、「名指しでマイナスの話はしない」とか「批判しない」とか「公には言ってはいけない」とか
クレームを入れられないように配慮して書いていることを。
あとは、昔よりも「読んでもらった人の役に立つことを書こう」と思っていることにも気がついた。
昔は、誰の役に立たなくても、自分が思うことを書いていた。
ばっかじゃねえかと思うことも、あれは違うだろうと思うことも、そのまんま書いていた。
私くらいの規模で何を書こうが大した影響はないのに、
いつからか、「文句を言われないように」「お役に立つ内容を」が無意識に働いていた。
もちろん、私のたわごとより、脳の仕組みや幸せの引き寄せ方を書く方が誰かの役に立つ可能性はあるんだけど
本当の「私」は物陰に隠れていて、もう出る気もなくなっている感じがした。
思わず、「ちっちゃ」と自嘲した。
「ちっちゃいの」一番イヤなのに。
あ~情けない。
ちゃんとしよ。
ちゃんと自分らしく書いていこう。
役に立たなくても、書きたいことをそのまんま書こう。
つまらない話でも、書きたいなら書こう。
話の内容に写真が合ってなくても、写真なんてなくても書きたいことを書きたいときに書こう。
だって、私は書くことが好きだから。
「なんだこいつ」って思われても自由に書こう。
元々、たくさん友達欲しいって思わない性格なんだもの、失うものはないはずだ。
なんで小さな世界で小さくなっていたんだろう。
ちょっと悔しい。。。残念な自分になりさがっていたことにガッカリ。
フン。
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