3日ほど前、昭和の大スター「石原裕次郎」さんの三十三回忌をしていた。
ということで、昨日は私の父の三十三回忌でもあった。
32年前、裕次郎さんの訃報を伝える新聞を病院のベッドで見ていた父がポツリと言った。
「自分も死ぬのかな・・・」
なんとも言えない悲しそうな顔と100キロあった父の小さくなった背中に胸が痛くなった。
そして、3日後、父は苦しみながら死んでいった。
元気だった父が急に倒れて三か月。
あの時、私は2つの感情を体験した。
人が苦しんでいる様子を見ると「心」が本当に痛くなることと、
人の苦しみを変わってあげたいと思うことを。
父が痛い痛い、苦しい、何とかしてくれと言って過ごした三か月。
見ているのも辛く涙が出たけど、死期が近いことを悟られないように明るくする必要があった。
病院では冗談を言い、病院からの帰り道、ほぼ毎日泣きながら帰った。
駅までの道にあったお地蔵さんの前をあえて通り、どうか父を死なせないでくださいとお願いした。
退院できなくてもいいから、どうか痛みだけでもとってくださいとお願いした。
痛みがない日もあり、このまま元気になるのではないか、誤診じゃないかと思う時もあった。
一週間ほど顔色が良く口数も多い日があり、
私が行くと「会社に行くときに足腰が弱っていたら困るから歩く練習をしている」と病院の廊下を歩いていた。
私はその時、直観で思った。
「もう父は長くない・・・」
理由は、人は亡くなる前、「いい顔をする」時期があり、それを過ぎたら死んでいくと聞いたことがあったから。
なんとなく、その時私は覚悟した。
すると、その日、父の妹が予定もなくやってきた。
なんとなく気になって来てみたと。
ずっと付き添いをしている母にたまには家に帰ったらと言ってくれ、今夜は自分が付き添うからと言ってくれた。
夕方になり、いつも「もうそろそろ暗くなるから家に帰り」と私に言う父が、「今日は帰らないで泊まっていき」と言った。
そんなことを言ったのは入院以来初めてだったので、私はますます、「今夜死ぬのではないか」ととっさに思った。
さらには、父の妹は母と付き添いを変わってくれるために来たとしっているのに、母にも言った。
「ベッドを借りたら3人泊まれるから今日も泊まって」と。
私はますます、ああ、今夜死ぬんだろうなと思った。
この時も父は元気で、4人でたわいもない話をした。
その夜、、、父の吐血が始まり、自分の血を見た父が驚いた顔をして母に聞いた。
「死ぬのか??」
もうなんて答えていいかわからなかったけど、母が慌てて言っていた、「そんなことないよ!」
でも、私は今夜死ぬんだと覚悟した。
どのくらい時間が経ったかもう忘れたけど、父はさんざん血を吐いて意識がなくなった。
医師からは吐血後すぐに「意識がなくなったらもう終わり」と言われていたのでやっとこさ私の涙は解禁。
一晩中泣いていたように記憶している。
ものすごく悲しかったけど、これで良かったと思った。
もう痛みに耐えることも、死の恐怖におびえることもないからだ。
私も、泣きだしそうになる気持ちを抑えて笑う生活から解放されたと思った。
明け方父は息を引き取り、医師からは「研究に役立てたいから」と身内は外にだされた。
私は事務的な書類を取りに受付で待っていたら、ショボいお兄ちゃんが声をかけてきた。
「入院してるの?」「時間あったらお茶いけへん」
私は、父が亡くなった直後、入院患者と間違われ、人生初のナンパをこんなショボい兄ちゃんにされることが滑稽でならなかった。
なんだか笑えた。
で、こういった。
「時間はあるけど、今父が死んだのでお茶には行けない」
兄ちゃんドン引き。
スゴスゴと帰っていく姿もショボかった。
なんだか、自分のすべてが情けなかった。
このとき私は19歳と2週間。しかも、当時は珍しい女子の浪人を選んで予備校生だった。
専業主婦の母と、祖母と私が残され、これからどうやって生きていくんだろうと思うと未来になんの希望も持てなかった。
まさに、「人生最悪の日」とはこのことだった。
最近、ふと思った。
「この19歳の泣き崩れている私に、今の私が会いに行けたらなんというだろうと。」
興味深く考えた。
出てきた答えはこんな感じだった。
「大丈夫。今はこんなに悲しいけど、絶対に大丈夫。
これから、諦めないといけないこともあるし、身の丈より重い荷物を背負うけど、あなたは絶対大丈夫。
いろんな人が助けてくれるし、楽しいこともいっぱいある。
結構強く生きているし、自分はツイテいるし幸せだと思うことができるから。
それに親が死ぬことは誰にでもやってくる。早いか遅いかだけのこと。
だからそんなに悲しまないで。」
自分から出てきた答えにちょっとだけ驚いた。
結構悲しみ耐性ができたんだなと。
先日、石原裕次郎の奥様が、「三十三回忌をもって墓業は終わりにします」と言っていた。
私もこれを機会に墓地一切「墓じまい」しよう。
「私、山下さんだもん」っと実家のあれこれから逃げるのをやめ、
墓参りにいかないことを気にして気がかりを作るより、
心を決めてやることやろう。
なんだか、最近終わらせるエネルギーが充満している。
やっぱり誕生日月だからかなぁ。
今日はなんだか、新しい自分の始まりな気がする。