昨日は、今年悩みに悩んだ墓じまいをしてきました。
日程が決まってからも本当にこれでいいのだろうかと逡巡し、先延ばにして逃げてやろうかという思考もよぎりつつの実行でした。
実際に墓じまいに立ち会って発見が2つ。
ひとつは、墓じまいというのは墓石をガンガン崩して撤去すると思っていたのに実際は全く違っていて、パーツごとに丁寧にクレーンで石材を持ち上げ、トラックの荷台にそっと置いてくれること。
だから全然壊れない。移動してまた別の場所にパーツを組み合わせれば何事もなかったように再現可能な状態で運んでくれる。
墓じまいを迷った理由のひとつに、父が祖父のために建てた墓を私がガンガン崩してしまうことへの罪悪感があったけど、こんな丁寧ならあんなに悩むことはなかった。
と言っても、持ち帰られた墓石は私が見ていないところで破壊されることは間違いないが、見ていないので気にならない。
ただ、僧侶に来てもらいお性根抜きをしているので、いえば、ただの石なのだから破壊しても問題はないと思っていいはずだ。
最近の墓じまいでは、お骨を宅急便で送ってくれという人が多いらしいけど、
おそらく父のものだろう遺骨と、土葬していた頃の墓石の下の土をさらしで包み大急ぎで大阪に戻り、いつもお世話になっている寺の観音様の下に納めさせてもらった。まさに生きている人間の引っ越しとおんなじで、墓じまいなんてして先祖に叱られそうという雰囲気では全くなかった。むしろ、荒れた墓地から都会の立派なお寺に暮らしアップしたようなイメージだ。
これからは墓参りに行かないという罪悪感を感じることもなく、地下鉄に乗って楽々行くことができる。
墓石をガンガン破壊するのではないとわかっていたら、もっと早くにやっていた。
まさに私の思い込み。そんなにイヤなら石材やさんに確認すればよかったのに、
もう勝手に墓石ガンガン場面を見届けないといけないと思い込んだものだから確認する気持ちすら浮かばない。
思い込みって、いつもこんな感じなんだろうな~と、思い込みで苦しんでいるクライアントの方のお顔がポツポツと浮かんできた。
そしてもうひとつの発見は、人の性格のこと。
うちの親戚のじいさんに(祖父の兄)噂になだたる頑固ジジイがいた。
私が小学生の時に時々会うことがあったが、頑固ジジイの横暴な態度や発言にみんなが困り、悩まされていた。
ジジイは兄嫁さんを殴ったこともあり、その家からは最高に嫌われて他の親戚からも嫌われるかなりの厄介なジジイだった。
祖父が亡くなった時もうちの父になんだかんだ無理難題を言って、父が辛そうに頭を抱えていたことを思い出す。
なのに、お性根抜きが終わり、今までお世話になったお礼を住職に言った際、住職が口にしたのは、その頑固ジジイに大変お世話になったという話だった。
ん??嫌味?と一瞬思ったけど、住職はどんどんジジイとのエピソードを話し出す。
なんと、今の本堂があんなに立派になったのはジジイのおかげだと言い出した。
なんでも、本堂はもっと立派にしないとと言い出し、いろんな家をまわって説得して歩いたらしい。
住職は、本当に感謝しているとしみじみで、親戚中の嫌われ者のジジイは世間では良い人になっていた。
聞いている一同びっくり。まさかまさかの良い話に唖然とし、親戚中では厄介でしたというと僧侶は言う。
そのくらいの方だから、本堂の再建ができたんですと。。。
最後まで、ジジイに対する感謝の話題しかなく、「人が良い」と評判の良かった私の祖父や父の話はポツリともでなかった。
そこで二つ目の発見。
人にはいろんな面があり、見せる顔があり、頑固で横暴なジジイだからできた偉業があった。
きっと無理を言って、強引に説き伏せてお金をださせたに違いない。
でも、本当にそのくらいの人がいないとできなかったのかもしれない。
没後40年後くらいに知る事実。こちらも人の心に関わる新しい発見だった。まさに陰陽。物事には両面あり、両方見る必要がああることを思い知る。
そんな感じでこの1年、考えに考えた墓じまいが完結した。
最後にと墓地で撮った写真に光のようなものが写っている。
これは、先祖が喜んでくれているのか、墓じまいした私に怒っているのか、まったくわからないけど、もう知らない(笑)