写真は10年前の佐藤富雄先生。大阪で私が初めてお手伝いした講座の日だったと思います。
佐藤先生、(以下ドクターは)は、私の人生の師匠であり、文章の師匠であり、仕事の師匠でもあります。
ドクターに出会ったおかげで、私は自分の好きな仕事を続けてこれていると思っています。
先日、志村けんさんがお亡くなりになり、日本中が悲しみ、「けんさんを見て育った」という方の喪失感をよく耳にします。
ご冥福をお祈り致します。
人の話だと、私は志村けんさんがど真ん中の世代らしいのですが、その印象はありません。
というのも、私の父はお笑いが苦手。大好きなのはニュースにプロレス、野球観戦。
伝説の番組「8時だよ!全員集合」はちょうどニュース番組に付き合わされる時間で、
まさにど真ん中の「3年B組!金八先生」などは確か、、、ワールドプロレスリングを見る時間。
ティーンのほぼ全員が見てそうな大人気ドラマを私は一度も見たことがありません。
みんなが「たのきんトリオ」に盛り上がる中、私は覆面レスラー「千の顔を持つ男」ミルマスカラスや「黒い呪術師」ブッチャーの流血戦を見せられていました。
なんとも退屈で、イヤだな~とシブシブご飯を食べていました(笑)
なので、日本中の、いや世界からのけんさんを偲ぶ声を聞き、改めてすごい方だったのだと知りました。
しかし、、、けんさんを「師匠」と仰ぐ方の悲しみは、痛いほどわかる気がしています。
私もドクターが亡くなった時、人の死がこんなに悲しいものなのかと自分でも驚きました。
十代で父を亡くし、その後もたくさんの死に目に会い、ある意味「死には慣れている」つもりでおりました。
親戚の葬儀に行っても涙も出ず、火葬場で一人しれっとした顔をしていることが気まずいことが何度もありました。
「あの子は冷たい」と言われていたのも知っています。
けど、父の死が悲し過ぎて、それ以上の悲しい別れがありませんでした。
しかし、ドクターが亡くなった時はまるで違いました。
最後にお見舞いに行った際、帰りのバス停で大泣き。
訃報を聞いて新幹線に飛び乗った車内でも大泣き。
葬儀中も大泣き。もちろんお骨を見ても大泣き。帰りの新幹線もぶっ通しで大泣き。
自分でもびっくりでした。「私、声出して泣くんだ」って発見でした。しかも、まぁ言えば他人ですよ。
その後も、1年くらいは大阪空港を通っては泣いていました。
大阪空港はドクターを迎えに行く場所だったからです。これまた家の近所にあるもんだから、頻繁に通るから大変です。
師匠って、本当に特別な存在なんだとただただ驚きでした。
今でも、ドクターの顔は毎日浮かびます。
悩んだとき、ドクターに相談したらなんというだろう。というのもよく思います。
想い浮かぶ返事は、
「ノープロブレム」
「あなたはできるんだからさ」
「素晴らしい!」
「そんなものは歩いたら解決する」
師匠って、本当に人生に大きな影響をくれる有難い存在です。
先日、佐伯チズさんが病気を公表されましたよね。
その時もドクターの病気が分かった時のことを思い出しました。
病気を抱えて、残りの仕事をどうするか。
関係者で悩みに悩んだものでした。
佐伯チズさんも、おひとりお弟子さんを知っているので、
その方のご心配を思うと本当に心が痛みます。
佐伯チズさんには必ずやお元気になって頂きたいと思います。
師匠を喪った弟子にできるのは、師匠の教えを大事に、自分の人生に活かすことしかないのかもしれません。
と言いつつ、ドクターの棺に約束した「本を書きます」という話。
全然守ってなくて反省です。
本ではなくても、何か頂いたご恩に報いるような形を作りたいと思います。
yamashita yuri 情報
音声小話・・・【himalaya】聞き方がわからない方、聞けるけどフォローの仕方がわからないという方は以下をご参照ください↓
①スマホ(PCも可)で「himalaya」というアプリを探す
②ダウンロードする(無料です!)
③「やましたゆりのちょっと言いたい話」を検索
④私の顔写真をクリックして頂く
⑤赤いボタンの「フォロー」をクリック
ライン公式アカウント↓
変化の時代に対応できる脳・心・体を一緒に作っていきましょう。(緑のボタンをクリックしてください。ご登録特典あります)