私は先生と思っているわけじゃないけど、今日の話題では便宜上「先生」でお許しを。
レッスンをしていると、時々参加してくださる方からこんな風に言われる。
課題を全然やってないのですが行ってもいいですか?
こんな時私は思う。
もちろんOK、聞くまでもない。
課題をやっていなくてもやることも伝えることも聞くことも山ほどある。
やってないにも理由があるだろうし、理由なくやってなくてもやってほしいことは何でもある。
課題をやっていないなら来ても意味がありませんなんて、これっぽっちも思わない。
なんでそんな発想になったのだろうと思っていたけれど、
自分がフランス語のレッスンをはじめて、私は「生徒」の気持ちがよくわかった。
プライベートレッスンの日が近づくと、思うように課題が進んでいないことを先生に申し訳なく思ってくる。
こんなに進んでないないなんて、先生驚くだろうな。ガッカリするだろうな。
前回のレッスンからあまり進んでいないならレッスンを受けても意味がないのではないだろうか?
日を変えてもらった方が良いのでは?などなど思考がワンワン浮かぶ。
けど、日を変えると言っても逆に先生に迷惑をかけるし、日を延期したところで自分がどれだけ進むかも自信がない。
結局、先延ばししても一緒なことは痛いほどわかっているので延期の選択肢は持っていない。
となると、レッスン日が近づくごとに申し訳ない気持ちが高まってくる。
先生が一生懸命教えてくれていることがわかるだけに、期待に応えられない現状が悩ましい。
が、私が「先生」の立場になると視点が全く変わってくる。
課題、やってなくても全然問題ない。
課題をやっていないからレッスンを休むなんて言われたら、「やってなくてもやることいっぱいあるから大丈夫」と心底思うし、そんなあなたに何をやろうか考えることも楽しくもある。
フランス語をはじめて、「課題をやっていないけど行ってよいのか?」と聞いてきた人の気持ちがよくわかった。
また、生徒の自覚と先生の認識にもずれがあることがわかった。
私が「着実に力をつけてくれているな」と思っているのに、ご本人はまるで自信も自覚もない。何度ステップアップしているといっても自覚がない。なんで信じてくれないんだろうと思うけど、これも自分が生徒になってわかった。
私はフランス語が思うように覚えられない、発音が悪い、聞き取りがショボいなど自分にガッカリすることがある
しかし先生は仰る。
「ゆりさんは耳が良い、発音が良い、よくわかっているしよくできている。調子よく進んでいるので自信を持ってやってください。」
ウソでしょう~~~と驚愕する。
が、先生はおだてて頑張らせようという感じでもなくすごくストレート。だから信じていいのだろうと思う。
私の理想と現実にギャップがあるだけで、自分が思うほどダメダメじゃないみたい。
視点を変えて考えるってホントに大事。
習っている「先生」が「できている」って言ったら信じていいのだとも思った。
今まで褒めてくれた先生方に「そんなことないです」「いえ、これもあれもできていませんし」と言ってきたことを全力でお詫びしたい。
本当に、「今の自分を認める」「現状を受け入れる」って大事ですよね。