はじめて頂いたバルーン。デコレッタさんの周年祝バルーンを見て私も欲しい~~と思っていたらある方がプレゼントしてくださいました~なんと私が最近気になる色の組み合わせでびっくり↓
ついでにこれも(笑)
オーラソーマをご存知の方ならわかる、はい、「アクトレス」。。。まさに今。。。
という謎の前置きから久しぶりのブログはこのテーマ。
「人の代わりに考える」
私はこの、人の代わりに考えるということを人生でしばしばやってきた。
子供の頃から問題が起ると、自分はどう行動することが正解、いや、正解というか、周りに喜ばれるかを考えて自分の判断で動いていた。
その癖で、困っている人がいたり、グループに問題が起った時、私が解決しなければと思うことも多く、会社員の時も人の後始末をすることが多かった。
が、それが悪いことという意識はなく、押し付けられてキレることがあっても、それを受け入れて結果を出すことが良いこと、いや、やらなければならないことだと思っていた。
結果、「男気がある」「男前ですね~」など言われることになり、こちらも男社会で生きていくには「頼れるおじさん」として行動することが最善だと思ってやってきた。
前置きが長くなったけど、、、
この前までの私は、私を俳句の世界に連れて行ってくださった先生の作られたこの句が気分にぴったりだった。
「気がかりは 気がかりのまま 年の暮れ」
これは高度な俳句のテクニックが入っている句で、心配ごとがずっと気になっている様子を表している。
この私の気がかりは、離れたところに一人で暮らす叔母のこと。
というのも先月、叔母が自宅で倒れて2日後に見つかった。幸い意識は戻ったが、問題は山積だ。
叔母が倒れたのは今回で3回目。この度に私はヒヤリとし、奔走することになる。
最初に倒れてから、私は常にこの叔母のことが気になり、倒れているのではないだろうか?と日に何度も頭に浮かぶ。
海外へ行かなくなったのも、もし私が海外にいるとき何かあったらどうしようと思うと我慢じゃなくて行く気自体がなくなった。
スマホも、人には夜は電源オフにしてできるだけ離れてと言ってるが自分はそれができていない。
理由は、いつヘルプ電話がかかってくるかわからないので電源を切ることが難しいからだ。
知らない電話番号からの着信はでたくはないのだけど、もしやっと思うと出てしまうし、叔母が暮らす地域の局番からかかるとドキッとして身構える。
まさに、大きな「気がかり」だ。
そして、少し前、朝の9時。叔母のケアマネジャーからの着信が。
あ、やったな・・・とすぐにわかった。
恐る恐る出ると、案の定、お迎えに行っても反応がありません。
この時点で二つの可能性が浮かんだ。
デイサービスに行く日を忘れて寝ているのか、一番恐れている状態なのか、、、
結果、契約している会社の人に自宅に入ってもらうとキッチンで倒れていて意識がなかった。。。これが判明するまでの1時間。私は仕事の段取りを調整しながら出かける準備をしてスタンバイ。
で、今の気がかりは、叔母が搬送された先が姨捨山みたいな病院で、誤診もするし治療する気があるのかも疑わしい病院に入院させられてしまったことだ。
お腹の調子が悪いのに、連日カレーや焼きそばを出されているようで、初日に私がいろんな可能性を考えてほしいことや、診断はおかしいんじゃないかとか、他に検査してくれなど言ってはみたが、暖簾に腕押しも良いところだった。(前回も交渉して転院させ、私はモンスター●●みたいな印象を持たれている)
ここで、私が転院したいと引き連れて他院へ行くことも無理ではないが、そのあとどうするかを考えるとできていない。
それは、引き続き自宅で暮らすなら、そことは縁が切れない理由があるからだ。
私は正直、もう一人暮らしは無理だと思うのだけど、本人は施設を牢屋のように思っていて自分には無縁と決め込んでいる。ボケたら施設に入れてくれと言うが、痴呆になった人が痴呆になったと認める例は数少ない。
だが、この度の叔母は違った。
入院2日目に電話をしてきて、もうみんなに迷惑がかかるから施設に入ると言い出した。
私はさすがに2日間放置2回目は懲りたのだと思い、大慌てでうちの近所の施設を探して歩いた。
私も一生ここにいるわけじゃないけどなぁと思いつつ、とにかく近くに連れてきてと引っ越しの時期まで考えた。
が、3日目、近所の人の励ましの電話に気を良くし、施設に入りたいと言ったことを記憶から抹殺したようだ。
今は早く帰りたいと繰り返し、退院の予定もないのに一週間後に退院するのだと言い出した。
この状態になって早二週間。
私は頭からこの話が離れなかった。
どうしたらいいのか?
姨捨山からどうやって出て、まともな病院へ連れて行こうか?
退院した後の生活はどうしたらいいのか?
答えの出せない問題を抱え続けた。
そしてふと気づく。
「私が考えることではない」
またもや、人の代わりに考える癖が勃発だ。
私が考えに考えても、叔母の意向に添うとは限らない。
以前も、できるだけ快適な施設をと探したが、「施設に入れられる」と知り合いにヘルプ電話をかけて言いつけられた(笑)
それに施設に入って欲しいのは私が安心したいだけかもしれない。
毎日叔母がどうしているのだろうと考えることから、何かあれば連絡をもらえるというのは大違いだから。
しかし、叔母にしたら施設で暮らすより、どんな結果になっても最後まで自宅に居たいのかもしれない。
また楽天的な叔母なので、倒れた時がたまたま、初回は私の目の前で、2・3回目は2日後に発見されて無事助かるという経験と実績が自信につながっているのかもしれない。
人生は本人のものなので、本人が考えるしかないのだろう。
ただ、弱ったからはい施設に入りますという人は少なく、多くは泣いたり嫌がったりしながらが多いそう。
ちなみに、私の母は、私が自宅で仕事をしていることから、自分でトイレに行けなくなったらすぐに施設に行くのだとお気に入りの施設のチラシをためており、温泉付きだとか、食事が美味しそうだとかをチェックして施設に入る気満々だ。
話は戻って、弱ってしまった場合の老後って、この3つしか選択肢はないと思う。
・施設に入る
・限界まで自宅で一人暮らしをする
・身内が一緒に暮らす
高齢になると、自分の状態を正確に把握できないようで、一人で暮らせると思っているに違いない。
前にも、「もう倒れないから大丈夫」と真顔で言いきっていたことにも驚いた。
結局、こんなに私が悩んでもなんの解決にもならず、ベストと思う提案をしても最悪と評される可能性は大である。
まわりまわって思うのは、やはり、「人の代わりに考えても意味がない」ということだ。
こんな感じで仕事が後手後手になっていて、それを戒められるようにグギっと捻挫をして正気に戻った。
なので、捻挫をしてからの私はかなり仕事に身が入っておりやる気満々だ(笑)
捻挫ちゃん、教えてくれてありがとうと思い、テーピングをしてうずく足を気にしながらこのブログを書いている。
なんだか書いてさらに腑に落ちた。
自分の人生は、自分で決めるしかないのである。