最近叔母の介護問題でこんなブログを書いていました→人の代わりに考えない
あの時は、頭の中がこの話でいっぱいで叔母の今後の生活を自分が最善と思う形にするにはどうしたらいいかだけを考えていました。
しかし、ある朝声が聞こえたんです。
『自分の人生なんだから自分が決めればいい』
『人の生き方についてこうしろというなんておこがましい』
本当に目覚めるとすぐにこの声が聞こえました。というか心に浮かんだことが声として認識しただけなんですけど。
そこでハッと気づき、本人の意思を尊重し、できる限りのサポートをするだけでいいのだと思うことができました。
今は病院からは退院し、短期介護施設みたいなところで歩く練習をしています。
短期施設だから、滞在できる日数とかが決まっていて永住するタイプの施設じゃないんですが、
家に帰りたい一心の叔母は毎日電話をかけてきて、『ここから出られないと思うとおかしくなる』『ここに居たら死んでしまう』と繰り返しています。
自宅に帰るためのリハビリだとか、無料でおいてくれるところなんてないんだからお金を払わなかったらすぐにでも追い出されると言っても、一時安心するだけで、またしばらくしたら思いつめ電話がかかります。
本人がこんなところに居たくないと思う場所で見守られても、安全はあっても安心はないのかもしれません。
それなら、『こんな状態で一人暮らしをさせるなんて』と周りに言われていても、本人が好きな場所で暮らす方が良いのだろうと思いました。
最近は、樹木希林さんの著書のサブタイトルがよく頭に浮かびます。
『死ぬ時くらい好きに死なせて』
本当にそうですよね。
なのでできるだけ早く自宅に帰ることができるよう今は動いているところです。
そして、もうひとつ私が思うのは、自分が人の生活スタイルを決めたり、『こうするべき』と言おうとしていたことに驚きます。
幼稚園くらいの私が考えていたことと真逆のことをしているからです。
以前にも書いたことがあるんですが、私は小さい頃から『わずらわしさ』を感じる場面が多々ありました。
だから、幼稚園児のクセに、よく頭に浮かんでいた言葉がこれでした↓
『あっしにゃぁ関わりのねぇこって』
※時代劇木枯し紋次郎で人に何かを頼まれたときに言うセリフです。
『死してしかばね拾うものなし』
※時代劇大江戸捜査網のナレーションです。
イヤなことがあると、よくこの言葉を思い出して現実から逃げようとしていた気がします。
ちょっと大きくなってからは
『人間、生まれる時も死ぬ時も一人』
これをよく頭の中でつぶやいていた記憶があります。
さらに驚くのは、『私には関係のないことだ』と必死の願いを無視する紋次郎にあこがれていたのに(ストーリーはあまり記憶にないのですが紋次郎は関係ないと言いつつ、結局巻き込まれてお世話していたように思います。定かではありませんが。)
20年以上私がしている仕事は、人様の悩み事を聞いたり、人生を好転させましょうと言って応援する、本当に真逆のことをしていることです。
これって、本当に真逆。どんだけおせっかいなん?って話です。
思わず、見えないものが見える系の先生に言われた『山下さんはあまのじゃく』という言葉が思い出されます。
とにかく、今回のことを通して、『自分の人生は自分で決める』という原点を再認識することができました。
おそらく一度しかない人生なので、自分のことは自分で決め、誰かに遠慮することなく自分ファーストで生きていきたいですよね。