私は、話には「今」することか、そうでないか、考える必要があると思う。
その昔、私が複数の不安で押しつぶされそうになっているとき、とどめの一撃のような話を持ってきた人がいた。
私はその内容に応じることがイヤだと思ったのではなく、なぜ今私がこの状態の時に?とものすごい疑問と配慮のない相手の冷たさと馬鹿さを思い知ったことがあった。あとひと月、どうして待てないのだろうと絶望しながら恨んでた。
の、ように、話には、話をするタイミングがあると思う。
もひとつ私の例でいうと、
過去に受験したワインエキスパートの試験だ。
これは私の仕事に役立つだろうと、難関と聞きつつ学校に通った。
そして、ほどなく気が付いた。
私が必要としている知識は、この資格では学べないことを。
この資格に時間とお金をかけ、不合格になったら『願望達成』の方法を教えているのに格好がつかないと精神的なストレスも伴った。
正直、勉強し始め三か月後には『これ、意味ないな』と思った。
しかしながら、ここで正直に、私が感じた
『私が受験すると言った資格はやってみたらあまり私の仕事には役に立ちそうにないので受験はやめます』と言ったら、、、
私のようなひねくれた人は、きっとこういう。
『負け犬の遠吠え』
『合格する自信がないからあんなこと言ってる』
『合格してから言えよ』
などなど。
なので、私はじっと耐えた。
意味ないなと思いながら、仕事上の体面を保つために頑張った。
で、合格。(初年はテイスティングだけ落ちたけど)
合格してからなら言ってもいい、実は私が期待していた内容ではなかったです。(いう必要ないけど)
アスリートでもそうだ。
試合前に自分から『私ケガをしています!』と声高に言う人はあまりいない。
私の知っている限りでは、優勝なり、偉業をなしとげてから、『実は骨折してました』みたいな、ええ!と驚く苦痛を抱えて試合に臨まれていたことを知る。
中には、試合が終わるまでケガをしているなんて絶対に言いたくなかったと仰った人もいた。
私は、その思考が好きだ。(私は、というだけで、十人十色の考えがあって良いと思う)
良いと思うが、え?とは思う。
で、、、
日本中が注目しているこのタイミングで公の前に出る前に、精神的な病を抱えているというのも、いかがなものかと思ってしまう。
それ、言われたら何も言えなくなってしまう。元々いうのもおかしいけど、お隣さんのお嬢さんではなく公だ。
精神的な病なら、コロナで多くの人がかかっている。
事業がコロナでダメになり自殺者も増えている。
貧困で給食が唯一の食事という子供も少なくない。
この、マズローで言う生命を維持するための底辺の欲求でさえ満たされない人が頑張っている中で、
「は?」と思ってしまうのはいじわるなんだろうか。
そんなものは黙っておけ、思ってしまう。それはなんの狙いで言っているのか教えてくれと言いたくなる。
真実なら、いつでも、何でも言っていいとは思わない。
言うにしても、言うべきタイミングくらいは考えて欲しいと思う。
ホント、あそこには優秀なブレーンやプロデューサーっていないのかな?
危機管理、なさすぎだと思ってしまう。