このひと月の私はちょっとざわざわ。
もしかしたら10歳は老けたかもしれない。
今日の帰り道。
立派な霊柩車の後をずっと走ることになった。
なんとなく変な気分。
帰宅すると喪中はがきのようなはがきが一枚。
年末でもないのに何っと思うと、見慣れた人の名前が 「儀」という漢字の上にある。
一瞬、意味がわからない。
差出人はご主人の名前。
何度見ても私が妹のように思い、ねーさんと慕ってくれる彼女の名前。
47歳と書かれている。
子供が二人いる。
二か月前に頑張っている様子を教えてくれた。
でもLINEだ。本当に元気だったかはわかりにくい。
亡くなって一週間後にくださったお葉書。
もしや、療養していたのなら、こんな仕事をしながなら何の支えにもなっていないことが悔やまれる。
また会おうと言ってはなかなか約束できず怒られることがあり、
最近はオオカミ少年になりたくなくて『また会おう』とも言わないようにしていた。
まさか自分より年若い子の訃報を聞くとは思っていなかった。
まだ信じられない気持ちだけど、思うことは、明日は保証されていないということ。
なのに人は、明日があると思ってあまり疑わない。
私も、明日で終わると思って生きていない。思ったら普通の日常が暮らせない。
ただ、優先順位を持っていたほうが良い気がする。
この世にいるうちに、やりたいことをやる。
持ち時間はどのくらいあるかわからないけど、
はいココで終わりっと言われたときにも後悔しないように。
あと、どんな風に生きたいかも考えたい。
私は昨日考えてみた。
答えは、毎日笑って生きていたい。
何があっても、1日の終わりには笑って眠れるような。
明日は春分の日。
新しい一年の始まり。
そんな前日の訃報。
もっと深く『今』を大切にすることを教えてくれている気がする。