久しぶりに作ったグラタン。
グラタンの中身は前日のタラ&キムチ鍋。
実は、前日のタラ鍋が美味しく作れなかった。
なんか美味しくない・・・と不本意に思いながら薬効ありきだと思い食べ終えた。
美味しいつもりで作ったので量もそこそこあり、翌日も食べなければならない量になっていた。
朝から私は思う。
今夜もあの中途半端な味を食べなければならないのか。。。
そんなの嫌だ。
それが私の最後の晩餐になるかもしれないのに、不本意な晩御飯を2日も食べるのはイヤだ!
と思いなんとかできないか考えた。
そして浮かんだのがグラタン。タラもキムチもグラタンになる。発酵食品つながりでキムチとチーズも合うはずだ。
結果、お気に入りの酒粕豆乳グラタンにアレンジし、「おいちい」と思って食べられた。
こんな風に、不本意なことを我慢するほど嫌なことはない。
話は変わって、昨日、仲良くして頂いているマダムから刺激を頂いた。
私がなぜだかお墓の話をした時だ。
実は、私の最近の悩みはお墓である。サルやシカが出てくる山ぶかいところにある墓地。
その一角にうちの墓はあり、敷地内に誰もが誰だかわからない墓石が複数ある。
私は一人っ子で子供がいない。よって、私が死ねばここは自然と無縁墓地になる運命。
敷地の権利は親戚にあるようだが、不便だからという理由で別に墓地を用意し出て行かれた。墓石はそこに置いたまま。
結果、私の祖父母、父の墓がある私は、そこの唯一の関係者ということになる。。。
そう、今はやりの墓じまいが私のお役目なのだ。ざっと数えて6つほど。
そんな悩みをマダムに話していると、ご自身は墓は持たないと言い切られた。最近流行りだし、不思議はないが、お子さんがおられるので少し不思議に思って聞いてみた。
するとマダム曰く、墓なんかを作ったら子供たちがかわいそうだと仰った。
墓があれば、お彼岸、命日、盆などの時期が来るたび息子たちが気にかけないといけないと。さらには、暑い時期も寒い時期も、時間を作って、花やお供えの用意を考えるなど、息子たちの人生の貴重な時間を死んだ自分のために使ってほしくないのだと。
人生の時間は一分一秒でも自分のために使ってほしいと仰った。
歌の文句ではないけれど、私の魂はお墓にはなく、息子たちの心の中にいると思うので自分の人生の幕はさっと引いてこれで終わりっとなしにしたいと仰った。
私はこの言葉にすごく感動。
家に仏壇があり、死んだ人がいっぱいいて、今年も3月に一周忌、5、6月に三周忌、7月に33回忌、9月に11月にと年の半分4つのお寺に電話せねばならず、今の悩みが墓という私には締め切った部屋に穴をあけてくれたような考えだった。
そしてマダムが度々おっしゃったのが、「どうしたらあなたは気持ちがいいの?」
どんな話をしてもマダムの質問はこれ。「どうしたら気持ちいいの」「どちらが気持ちいいの」
じゃ、その選択ができる段取りをすればいいだけよ。
そういえば・・・マダムと初対面のときもこんなことがありました。
子供はいないのと聞かれ、いないと答えた私にキラキラした笑顔で「それはオールマイライフね!」と仰った。
そんな反応は初めてだった。普通は、「さみしいね」と決めつけられて終わりが多いから。
とかく、生きていると、「しなければならない」がついてくる。
「してもらわないと困る」と言われたら、性格上我慢してやってしまう。それが当然になっている。
そのあたりも、マダムはおっしゃった。
「困るって言われても、私も困るわ」って言えば終わり。「できないわ、ごめんね~」って言えば終わりっと。
ひぇ~~~と運転しながら目からウロコがザクザク落ちた。
そんな話の90分。
本当は30分くらいで帰れるはずの道のりが、事故渋滞で90分もかかってしまった。電車より一緒に帰ろうと誘ったのは私なので、申し訳なかったとお詫びすると「あなたとお話できる時間が増えて私は嬉しかったわ~」と言ってくださった。
私なら、「急いでませんから大丈夫です。乗せてくれてありがとう。」で終わってしまいそう。
そしてマダムは、待ち合わせ場所で待ちぼうけになっているご主人の車へと走って行かれた。しかし、ご主人への遅れます電話の言葉もすごかった。「寒いところ待たせてごめんね~」とキュートにさらりと仰った。
わ、これも言えない。私なら、「ごめん、お待たせしました」で終わりだろう。
今度から私も言ってみよう。キュートなタッチで「寒いところごめんね~」
きっと、熱でもあるのかと疑われるに違いない。
皆さんも、悩んだら「どうすることが自分が気持ちが良いのか?」考えてみてください。
多くの人が、気持ちが良いより、した方が良いに流れている気がします。お前が言うなって感じかもですけどね(汗)
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